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ブログ「Stories Café」へようこそ!
ここでは、ノベルゲーム「ショートショートショート100」に関する情報を発信しています。
なお、体験版である「ショートショートショート10」は、現在ふりーむさんにて公開中です!
ダウンロードは、こちらから

最終参加枠決定に伴い、2019年7月31日をもって募集は終了しました。

以下のリンクをご参照ください。

「ショートショートショート100」って?

体験版「ショートショートショート10」が現在公開中です!

ともに制作してくれるメンバーを募集しています。(募集終了しました)

参加を検討されている方への注意点

参加検討の際に寄せらせる質問と回答

参加メンバーへの注意事項と規約

「ショートショートショート100」への参加方法

制作初心者も大歓迎! 新規参加者にはこんなサポートをしています!

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制作者の自己紹介



☆☆ シナリオ実装状況_(2020/1/18) ☆☆
shintyoku0118

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あいはらまひろのフリーゲームレビュー 【十三階段の花子さん2】


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【十三階段の花子さん2】義弓くー(
BLUE AZALEA)


■はじめに

こんにちは、あいはらまひろです。

ノベルゲームの魅力にもいろいろありますが、そのひとつに、文字だけでは表現しきれない様々な演出の楽しさというのがあります。

例えばBGMひとつで、シリアスなシーンもコミカルになりますし、表情だけでヒロインの感情を表現することもできる。もちろんノベルゲームの主軸はシナリオでありテキストですが、演出ひとつでそれをさらにパワーアップさせられるのです。

本作「十三階段の花子さん2」は、そんな演出の面白さを再発見させてくれる作品でした。前作でをプレイしたこともあってテストプレイをさせてもらったのですが、とても興味深い体験でした。

せっかくテストプレイで3周+完成作で1周もしたことですし、珍しく感想のメールでもと思ったのですが、作者さんからの要望もあって、感想というか雑感というか、レビューめいたことをこちらで書いてみることになりました。

極力ネタバレは避けつつ、以下わりと長めに続きます。


■前作「十三階段の花子」さんって?

メリーさんの電話、十三階段、赤マント。
ごく普通の小学校にいる、ごく普通のお化けたち。その正体はなんとかわいいお化け少女たちだったのです!

というわけで、このシリーズは学校の怪談にまつわる力を持った、お化け少女たちが主人公。前作では、夜の学校でお化け少女たちのコミカルな日常が描かれるのですが、なにやらとんでもない魔物があらわれて、知力体力お化け能力を駆使して戦いました。

本作はその続編にあたり、新キャラクターも登場して、コミカルでドタバタしつつ、さらに強い敵との熾烈な戦いも繰りひろげられます。もちろん前作をプレイしていなくても十分に楽しめるように、作中でもフォローがはいりますし、タイトル画面から前作をふりかえることができる親切設計にもなっています。

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■お化けもお腹がすく

主人公であるお化け少女たちは、お化けといえども女の子です。泣いて笑ってケンカして、果ては胸の大きさやら背の高さで大騒ぎ。どうやらお腹もすくようでお菓子を食べたり、家庭科室を勝手に使ってカレーを食べたり、トイレにだって行きます。さらに物語の序盤で、お化けの学校とか有給などという衝撃の言葉まで登場します。

例えば、大泥棒の三世や猫型ロボットみたいに、よく考えると無茶苦茶な設定ですが、日常を丁寧に描くことでうまく丸め込む物語世界に誘いこんでいます。

本作は、そのへんの導入がよくできていて、多少ギャグがすべってたり、きのこたけのこで、あたり前田のクラッカーしてたりしますが、冒頭の日常シーンが物語世界への楽しい導入になっていたと思います。

本作には人間が一人も登場しません。
ですが、お化け少女たちが人間以上に人間っぽく描かれていて、お化け少女という設定に有無を言わせず呑みこまれることになるので気になりません。

また、先輩後輩や対立といった人間お化け関係がはっきりしているので、物語を追いながら、次第に彼女たちの力関係や役割を理解していけるようにもなっています。物語の構造的にみると、このへんはなかなかのテクニシャンです。


■お化けもズルはしない

彼女たちは、怪異権限という能力を持っています。
例えば十三階段のお化け少女キザハシは『空踏』という怪異権限で、階段状のプレートを1枚作ることができます。

普段はそうした力を使って子どもたちをおどかしているのだと思いますが、このシリーズではその怪異権限を使って、自分たちが棲む小学校にあらわれた敵と戦うのがお話の軸になります。

怪異権限にはいろいろと凝った設定があるようですが、そのへんは情報量が多くて、1度ですべてを理解するのは無理でしょう。しかし、序盤である程度は説明されますし、立ち絵や演出が凝っているので、少なくとも何が起きているのかはわかります。

安心してください。読み進めるうちに、なんとなくわかってきます。もしわからなくても気にせずに読み進んで大丈夫です。起きている出来事を追いかけるだけでも、じゅうぶんに楽しめるお話です。気になったら2周目いってみましょう。3周すると境地に達するかもしれません。

さて彼女たちは、月に代わってお仕置きしちゃうような選ばれし戦士ではありません。人間よりはるかに打たれ強いようですが、戦闘要員ではないのです。おまけに怪異権限にも短所があって、例えばキザハシの出す階段プレートは13秒で消え、乗っていた者は落ちてしまいます。

そうした技の短所は明らかにされていて、時にはそれを逆手にとって敵と戦います。そして指揮官役・前線型・支援型といった役割にわかれ、互いの能力の欠点を補いながらチームワークで戦うのです。ご都合主義のズルい超必殺技はなく、戦いはフェアに描かれています。そこに好感を持ちました。


■敵は強いが強すぎた?

今回の敵は前作より強く、いわば裏ボス級の強さです。そのうえ、とある理由でさらに苦戦を強いられます。圧倒的不利ともいえる状況からの戦闘開始。これをどうひっくり返すのかという、なかなか燃える設定になっています。

しかしプレイヤーとは贅沢なもので、簡単に勝ってはつまらないくせに、なかなか勝てないのも落ち着かないものです。最終バトルの分量は、少し多かったようにも思いました。

とはいえ、戦いの状況は二転三転しますし、途中で緩急をつけて長丁場の戦いが単調にならないように工夫されています。ただ最後の怪異権限については、なんというか展開的には好きなのですが、ここはもっと強烈な伏線が欲しかったところでした。


■圧倒的情報量

設定だけが増えるばかりで作品が完成しない。ええ、身の覚えのある話でございます。設定が増えるほど、作者はそれを処理できずに身動きができなくなる。いわゆるエターナルになる原因のひとつですね。

しかし、この作品は違います。おそらくは、自ら湧きでる圧倒的な情報量と正面から立ち向かい、見事に勝利をおさめた作品なのではないかと思います。プレイヤーからすれば、情報量の多さにはただただ翻弄されるばかりですが、作る側から見ると、よくぞこの量を調理したものだという気持ちになります。

お化け少女たちの能力や設定、事件の真相や背景、お化け能力に隠された秘密などなど、すべてを把握しようなどと考えたら、一筋縄ではいきません。僕の理解力の問題かもしれませんが、3周目にしてようやく全容がつかめたような、気がしているような気がしている感じですが、まだ自信がありません。


■そこでしか味わえないもの

テキストは言葉遣いがとても個性的で、ある意味アクの強い文体です。ですが、難解というわけでもなく、擬音表現も多いので、とても作風にあっていると感じました。このへんは筆が走ってるなーとか、暴走してるなーという印象を受ける部分もあって、その熱量が羨ましくもありました。こういう作者が見せる凄みも、フリーゲームの面白さでしょうね。

いえ、無理してフォローしているわけではありません。上手い下手とは別次元で、この人のこの文章だから面白いとか、そういう楽しみ方もあります。およそ商業作品では出会えないような、そういうアクの強さに翻弄されるのも、フリーゲームの魅力でしょう。

誤解をおそれずに言えば、それはいわば珍味のようなものです。いったい誰がフグの卵巣を糠漬けにしようなどとしたのか知りませんが、そこでしか食べられないもの、好きな人は好きな味というものは確かにあって、それはそれで貴重です。


■こだわりぬいた演出

この作品の一番の魅力は、前述のとおり様々な演出にあります。効果音やBGM、背景や立ち絵といったものをどう使って、どう見せるのか。いわゆるお約束の使い方から一歩踏み出した、実に挑戦的な作品でした。この一点だけでもプレイしてみる価値はあると思うくらいです。

僕はテキストを補う程度のあっさりとした演出を好みますが、なるほどこういうのもアリかと考えを改めました。僕はテキストを主役とすれば演出は脇役という考え方ですが、本作ではテキストが主役であり、演出は相棒といった感じでしょう。


十三階段の花子さん2

例えば、こんな感じの画面のコマ割りや立ち絵の一部を見せるような構図、細かく変化する背景、効果音やBGMとタイミングをあわせた演出などなど、まさに演出の宝石箱というかアイディアの総合商社というか、盛りだくさんです。

おまけに立ち絵は、すべて自作されていて、それをうまく使った1枚絵的な演出もたくさんあります。作業量は半端なかったでしょうが、おかげで見ごたえ十分の作品になっていたと思います。

ただ残念ながら、日常シーンにおいては、そのこだわりの演出が続くあまり、インフレ―ションというか、ゲシュタルト崩壊というか、どうにも過剰になっていました。さすがにガラスは何度も割れ過ぎですね(笑)お掃除が大変。

日常シーンはやりとりがじゅうぶん面白く、ギャグもしっかりすべっている、もとい、面白いですし、立ち絵の表情もコミカルに変わるので、そこは演出を控えめにしてもよかったと思います。ちょっと、もったいないお化けでした。

もっとも、その過剰とも思える演出が、その後のバトルシーンでは、むしろ迫力を増す効果となっているので、そのへんのさじ加減は難しいものだなと思いました。


■その他

4人のお化け少女たちは、みんな個性豊かで存在感があります。個人的には指揮官役のメアリ推しですが、前作の主人公であったキザハシにはもう少し活躍して欲しかったかなと思います。

お化け少女たちの生態は謎に包まれたままでいいと思いますが、いつもは子どもたちをどんなふうに脅かしているのでしょうね。少しだけ描写はありますが、機会があれば彼女たちの日常、子どもとの触れ合いを読んでみたいところでした。


■さいごに

というわけで、長かったですね。僕がレビューを書くとこういうことになるということがわかりました。読んでくれた方、おつかれさまでした。ゆっくり目を休めてください。

ネタバレを避けようとしたら、物語の内容にはほとんど触れずに終わってしまいました。
さてさて、いったい何が起きて、どうなって、どう終わるんでしょう。
気になりますね。気になってください。

「十三階段の花子さん2」ふりーむのダウンロードページはこちらです。

前作から!という方は
こっちからどうぞです。
なお、例のレビューを読みたい方、
NaGISA netのレビューページはこちらになります。

それではこのへんで。
いやぁ、フリーゲームって本当にいいものですね!

「第12回 同人ゲーム制作勉強会」に参加をしてきました。 【義弓くー】

皆さんこんにちは、ショート100の人、義弓くーです。

今回は私が先日参加をしてきました、同人ゲーム制作勉強会について、その感想を書いていこうと思います。


11月2日、秋葉原にて参加者10名で行われました。
時間は13時~18時位。
※勉強会概要
http://dojingame-pj.info/study_off12.html



会場に13時に到着早々、殆どの方が既にいらしたので皆さんに名刺を配り、簡単な挨拶を慌ただしくもさせて頂きました。
そして、ショート100の同士である、あほちゃんさんとも、オフ会以来の再会となりました。
知っている方がいると、本当に安心します。わざわざ遠方より、ありがとうございました。


さて、13時15分より勉強会の開始です。
本勉強会では、ノベルゲームを主な対象とした宣伝方法やシナリオ作成技法、作品の魅力の伝え方等々に関して3名の制作者の方がそれぞれ1時間ずつ講演をしてくださいました。

それぞれの内容及び、私の感じた事を踏まえて報告させていこうと思います。(※各講演の内容に関してはブログ等で発信可能であると事前に説明を受けております)


◆【同人ゲームの宣伝としてtwitterを使用しているけど手ごたえがない人へ】
講師:BLACKGAMER様

・内容
ネットで創作活動をしている人の多くが使っている“ツイッター”。でも、それを宣伝ツールとして考えた場合、それを上手く活用するためのノウハウを教えてくださいました。

ツイートの分析方法から始まり、同じ創作仲間を見つけ(見つけてもらえ)るにはどうすればいいのかなど。

逆に**をしてはいけない。といったタブーに関してもお話してくださいました。


※一般公開資料(ブログへ)
http://www.doujin-creator.com/entry/twitter_katsuyou

・感想
ツイッターは私自身が一番使っている宣伝ツールであり、情報収集ツールであります……が、この講演を受けて、その使い方を再度見直さないとと思いましたね。

その日のうちに、早速自分のアカウント名に(@ノベルゲーム作者)と追加し、そしてプロフィール文章も修正しました。

また、私の場合、中々フォローORフォローバックをすることがないのですが、今後はその辺りもっと積極的になってもいいのかなと感じましたね。
情報収集という意味でも、同じ創作界隈の仲間を増やしていくべきだとも。

ちょっとしたコツから一歩踏み込んだテクニックまで、広告としてツイッターを使うなら…を沢山学ぶことができました。



◆【ゲーム製作入門 with Ren'py】
講師: 倉下遼様

・内容
ノベルゲーム制作ツールにはいろいろありますが、本講演では「Ren'py(レンパイ)」というソフトについて紹介をして頂きました。

Ren'pyはどんなソフトなのか。そして他の制作ソフトと比較してどうなのか。といった内容を実際のRen'py操作を見ながら知ることができました。

※一般公開資料(ツイッターへ)
https://twitter.com/krsm94/status/1190776662117380097


・感想
私自身は、サポート終了の「LiveMaker」を使っている身なので、他の制作ソフトを知る機会がほぼ皆無なので、興味深く聞くことが出来ました。ショート100は「ティラノスクリプト」を使用していますが、ティラノとの違いは勿論、「Ren'py」の現在のサポート体制に関するお話も面白かったですね。
※アメリカで開発されたソフトのようで、日本の有志の方々がリファレンスマニュアルの翻訳をされていたりするようです。

ただ、私の抱えている「ななしのおろち」に関しては、「LiveMaker」の演出機能有りきで作っているものなので移植はできないかなという感じです。

ただ、海外を視野に入れて、何かを作りたいという場合は良いソフトだと感じましたね。だって、海外の人からすれば、日本のよく分からないツールで作られたゲームより、自分達の知っているソフトで作られたゲームの方が、安心するんじゃないかなと。


◆【シナリオ作成のヒント】
講師: yosita様

・内容
「良いシナリオ」って何だろう?をテーマにグループごとディスカッションを挟みつつ、それを考えていく講演となりました。
また、ご自身の制作されたゲームや、シナリオの勉強になるテレビドラマに関するお話などもお話してくださいました。

気を付けているようで意外と見落としがちな、「良いシナリオ」「悪いシナリオ」のポイントなどを気づかせてくれる時間でした。

・感想
シナリオを自身で書いている身としては、とても興味深く、楽しく聞くことができました。シナリオは物語の運びだけではなく、それを構成する「キャラクター」「ゲームUI」「音楽」などの一件別ベクトルと思われる要素が実は重要な役割を担っているという点も、言われてみればなるほど、と感じました。ノベルゲームという媒体だからこそ、だから故のシナリオというものを考えるのが大切だと、私としては強く思いましたね。


◆【ゲームがプレイされるまで~あなたの作品はもっと伸びる!?~】
講師: 倉下遼様

・内容
制作した作品に感想を貰うための前提としてまずは「手に取ってもらうこと」がある。そのために、制作者側としてできることのイロハを話してくださいました。例えば、紹介画像の選び方・良いキャッチコピーなどを実例を交えて知ることが出来ました。
そして、続いて、プレイヤー側が「感想を書く」という行為に対してどのようなイメージを持っているかを、アンケート結果を踏まえてのお話となりました。

※一般公開資料(ツイッターへ)
https://twitter.com/krsm94/status/1190828830811803648


・感想
作者側としては、喉から手が出る程感想が欲しいものなのですが、如何せん、そのためにはどうすればいいのか?という疑問にヒントを与えてくれる内容で、とても興味深く聞くことが出来ました。

また、講義の中で「感想がもらえにくい」とされる理由がまさに、私の「ななしのおろち 春」のふりーむページがそれだと気が付いたので、これは折を見て修正せねば!とも痛感しました。ネタバレを恐れずに画像を変えたり、あらすじを書いたり等々します…!
⇒(追記:2019/11/9_ふりーむ紹介ページ修正完了しました)



……といった具合で、ノベルゲーム制作者「義弓くー」としては、新たな発見があり、自身の至らない所などを知る良い経験となりました。

勉強会の後の懇談会に関しては、帰宅時間の都合上、残念ながら出席は見送りましたが、時間があれば是非もっといろいろとお話を伺ってみたいと強く感じました。
特に、今回参加されたのは、今まで私の創作活動とはご縁の無かった方々なので、今まで知らなかったこと、新しい発見、興味、考え方などを取り込むことが出来ました。また、今回を機に、各参加者の皆さまのツイッターをフォローしたのですが、創作に関する各々の考え方や、創作情報などが流れてくるのは新鮮です。

ツイッターの講義を踏まえて感じたことでもありますが、得る為には労を惜しまずに「自分から動く・変える」ことが必要なのですね。



そして、講演の幾つかに関しては各講師の方が、資料をブログやツイッター等で一般公開してくださっているので、今回参加を見送ってしまった方は是非一度目を通してみるのがいいと思います。

貴重な経験やスキル、データをまとめてあるので、得られるものがあるはずです。そして、各々の創作活動に活かしていけるはずです。


最後になりますが、今回このような有意義な勉強会に参加できたことは本当に良かったです。
主催者のyosita様を始め、各講師の方々、そして一般参加の方々の皆さん、ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした!

作中で設定を語ることについて【直弥】

創作技法と呼べるような大したものではありませんが、
記事タイトルに関して日頃から自分が気を付けている――というより目指していることについて少々。

私が小説やシナリオを執筆するにあたって一番楽しめるのは設定を考えている時です。
重視しているのはストーリー>設定で、あくまでストーリーのために設定を考えるわけですが、
なんだかんだ言ってその時間が一番楽しかったりします。

たとえばこれは、「未来を舞台としたループもの」を構想している時のメモです。
実際に読んで頂く必要はないです。とりあえずなんか考えてるなと分かって頂ければ。
(所詮文系が十冊程度の本の知識だけで考えたものなのでガバガバ具合はご容赦を)
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世界観(宇宙の仕組み)
・虚数時間
・トンネル効果
・インフレーション理論
・神の寿命

◆宇宙科学の異常な進歩について(A宇宙)
・2025年頃から、ワームホールの人為的な生成、ワームホールを固定するエキゾチック物質の発見などが相次ぐ。
・A宇宙において別次元宇宙への航行と、疑似光速航行機の発明による未来行きタイムトラベル、
 ワームホールを利用した限定的な過去へのタイムトラベル(キップ・ソ-ンの理論による)などが可能になる。
・それらの技術を結集した、別次元宇宙(多元宇宙)の観測が行われる。

◆観測結果
・宇宙の誕生は虚数時間からの量子トンネルとインフレーション理論でほぼ正解。
 多元宇宙もインフレーション時に発生した子宇宙、孫宇宙たち。
 但しどの宇宙も量子トンネルを抜けて実数の時間に現れた時点でまったく同じ状態・姿をしている。
・どの宇宙もある時点まではまったく同じ歴史を辿り、そこから各宇宙毎に大きく分岐し始めることが判明。
⇒その時点というのが、宇宙科学に関する異常な進歩が始まった頃(地球の西暦2025年頃)と重なる。

◆観測結果(どの宇宙もある時点までまったく同じ歴史を辿っていること)への疑問
・人間、生命すべての意思が実はニセモノだったとしても、
 量子論的な『ゆらぎ(確率)』が存在するなら、たとえスタートが同じだろうとその後の歴史は変わるはず。
・どの宇宙でも必ず地球が生まれ、人類が誕生し、その人類がまったく同じ歴史を歩んでいるのは何故なのか。
・ある時点(西暦2025年頃)から歴史が分岐し始めるのは何故か。

◆疑問に対する仮説(ほぼ『神』関連)
・何故量子論的な『ゆらぎ』を無視して同じ歴史が繰り返されるのか
<量子論懐疑派>
⇒すべての生命の意思はニセモノであり、不確定性原理も間違いだった?
 ⇒ある時点で歴史が分岐し始めることへの説明がつかない。

<量子論肯定派>
⇒各宇宙の誕生時、宇宙の歴史を編んでいる『神(=オーバーマインド)』も同時に生まれている?
 ⇒ここでいう『神』は宗教的な人格神ではなく、物理学における『万能の神』(=「神はサイコロを振らない」の神)に近い概念的な存在。
  量子論的な『ゆらぎ』は存在するが、観測不可能な領域で『ゆらぎ』を握っている『神』が確率を無視して結果のみを決定している?
 
すべての宇宙がまったく同じ状態で誕生する以上、付随的に生まれる各宇宙の『神』もまったく同じものである。
『神』は絶対の存在なので、量子論的な『ゆらぎ』や生命的な『気まぐれ』が一切存在しない。
⇒すべての意思決定は常に百パーセントなので、どの宇宙の『神』も同質の存在である以上は同じ歴史を編む。
⇒アドベンチャーゲームに例えるなら、常にまったく同じ選択肢を辿ることになる。

ある時点で歴史が分岐するのは、その時点で『神』が死ぬから?
⇒分岐の開始時点とほぼ時を同じくして宇宙科学の爆発的進歩が始まり、
 多元宇宙への干渉が可能になるのも、『神』が死んだからではないか。
 逆に言えば、『神』が生きている間は神がその干渉を阻んでいたのではないか。

◆補足
数万分の一の確率でもっと早い時期に分岐する宇宙もある。
⇒特異点的な存在、或いは『神』と並ぶ高次元存在(=オーバーロード)の介入?

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肝心な本編は冒頭を書いただけで10年以上放ったらかしになっている状態ですが、
同じ世界観を流用した派生作として「冬の最涯」、その続編「宵宮月光」を公開しています。
しかしいずれの作品でも、上記の設定に関して作中ではほぼ触れられていません。

最初に述べたように私は設定を考えるのが楽しくて創作しているようなものなので、
折角考えた設定は出来るだけ発信したいという欲求もあります。
ではなぜしなかったのかというと、単純に『作品上で開示する必要がなかったから』です。

小説(特にライトノベル)やシナリオを書き始めた頃にやりがちなこととして、
とにかく怒涛のように独自設定を並べ立てて説明したがるというものがあります。
この警告自体がもはや聞き飽きたというぐらい定期的に流れて来る話題でしょう。

ただ、設定を必要以上に作中で語ること自体が悪いわけではないはずです。
ならばバランスの問題で自然に徐々に情報を開示していけば、というのも少し違う気がします。
設定好きからすると、どうしても必要のない部分まで開示したいと思うものなので……。

自作品でも「カンナガラのケモノ」、「サイコパンプス」といった異能バトルものでは、
明らかにストーリー上必要のない部分の設定を作中人物や地の文でかなり語っています。
ではそれらは先に挙げた二作品と何が違うのかと言えば、とても簡単な理由で説明出来ます。
『設定自体を作品の魅力の一つにしたいと考えているから』、それだけです。

ストーリー上で必要のない設定までやたらと作り込んで語るのは確かに自己満足に過ぎません。
しかしTYPE-MOON作品を始め、
実際に設定の奥深さや面白さがコンテンツの根幹を成している作品を少なくありません。

注意したいのは、そういった作品の設定が人を惹き付けるのは、
まずストーリーやキャラクターに大きな魅力があるからこそだということです。

また特殊な世界観設定それ自体がテーマである作品は数多くあります。
「1984」や「家畜人ヤプー」はただその世界を紹介するだけでも一つの作品として成立し、
強力なメッセージ性を持っています。
特に後者はとにかくインパクトの強い描写が多く、
あらすじや概要を読むだけでも度肝を抜かれるほどの印象が残ります。

まとまりのない文章になってしまいましたが、
記事タイトルに対して結局何が言いたいのかと言えば、

「設定を必要以上に語り過ぎるのが必ずしもダメなわけではない」
「設定を語りたければ、設定が気になるようなものを書けばいい」
「ぶっ飛びまくった設定でいきなり心臓を鷲掴みにするのもアリ」


ということです。
悲しいかな私にはそんな作品を書けるだけの腕がないので、今後一層精進していくつもりです。来年30歳だけど。

ところでショートショートショート100という企画は1500文字前後の掌編集ですが、
その短さの中で様々な趣向を凝らした設定を盛り込んだ作品が多数ありますので、お楽しみに。

出張版『万年筆と神経毒』 創作論のようななにか

 神無月ミズハです。
 ショート100の企画に参加を表明して結構な時間が経ったのだけれど、未だに自己紹介以来の記事を書いていなかったので(あと他の参加者が続々と書いているのに感化されたのもある)そろそろ書いてみようと思い、ようやく筆を執った。……のだけれども、書くことが思い浮かばない。せっかくなので何か有用な情報を発信できたら良いなあ、と思いつつ僕が持っている情報で世間一般で広く有効活用できる情報なんてあったかしらん? いや、別に世間一般で使えるものをとか重くは考えていないのだけれどね、でも書くならそれなりに有用なものを書きたいではないか。僕的にはおすすめの同人エロRPG10選とか書いてみたいとも思ったのだけれど、当企画は非18禁なのでそんなもの書けるわけがない、書いたとしても公開差止めを食らってしまう。とういことで他に何か書けるかなあ、とない頭をぎゅぎゅぎゅっと絞って、絞り尽くして出た答えが……ないんだよね、これが。ないからまあ出張版『万年筆と神経毒』と称していつもブログを書く時と同じように書いてみようかしら。いや、ここは創作論でも語るのが良いのかもしれない。僕には明確な創作論は無いのだけれど、でも内側には靄のような何かがあるはずで、それをこの記事を期に探ってみよう。
 僕が創作を始めたのは大学一年の、今は辞めたサークルでの小説を募集するという企画で2万字くらいの小説を寄稿したのがきっかけだと思う。いや、違った。創作と言ってもそれは文章を書くようになった始まりが大学生からというだけで、それ以前にも僕は絵や漫画を描くことがあった。小学生の頃だったのだけれど、僕は魚図鑑を模写したり、拙いながらも誰に見せるわけでもないのに、漫画を書いていた。四コマ漫画で、それは漫画に熱中していたから描いていたわけではない。僕は小学生が読むような少年漫画(コロコロとか)を一度しか読んだことがなかったし(親に一度だけコロコロコミックを買ってもらったんだ。読み切り以外は話の前後が分からなくて面白さがわからないものがほとんどだった)、読んでいた漫画といえば学研のひみつシリーズだった。当時の僕は文字を読むことに忌避感を抱いていて、図書館ではひみつシリーズの漫画しか(そういえば三巻読んだだけで辞めたけれど『はだしのゲン』も一応読んでいたな)読んでいなかったのだけれど、今思うとこうして文章を書くようになったのはかなり不思議な話だ。きっとあの頃の僕に将来の僕は小説を書くようになっているよと言っても、暗い瞳で「嘘だ、そんな、国語もろくにできない――作者の気持ちを答えよとか意味がわからないんだ――僕が小説だなんて、絶対にないよ」と答えるに違いない。僕が描いていた漫画はペンギンが主人公の話で、もう内容は思い出せないのだけれど、面白くはなかった。自分でも驚くくらいに面白くはなかったはずだ。それは小学生という経験が浅いという時期だというのも関係しているのだと思うけれど、僕には徹底的に想像力というものが足りなかった(今も想像力があるかは微妙だが)。テレビで観たようなことを漫画にしているようなものだったはずだから。図鑑の模写をしていたことが示唆するように、僕は自分で想像して何かを創り出すことが苦手だった。というか今も苦手だ、苦手意識がべったりと張り付いている。それなのに何故か僕はこうして創作をしている。何よりも苦手だった文章を書くことを創作の核としている。……そうだ、僕が文章を書くのが苦手だったという話の淵源を探ってみよう。
 小学生の頃、僕は酷く国語が苦手だった。平気で30点とかとったし、一年の頃はカンニングもした。得意だった科目は理科で、塩酸が金属を溶かす様子にとても胸が踊ったのを覚えているし、液体窒素によって凝縮した酸素の淡い青色は今でも鮮明に思い浮かべることが出来る。勉強に興味を持つようになったのは恐らく理科があったからなのだろう、それでも国語だけは興味を持つことができなかった。人の気持ちが理解できない、常にそう思っていた。ただでさえ理解できない人を文章にしたところで更に見えなくなるだけではないのだろうか、僕は多少なりとも斜に構えた人間だったのだろう、小説を読む人のことを嫌悪すらしていた。あんな文字ばかりのものを読もうとしているだなんて気がどうかしている。文字で、何が分かるというのだろう。絵や数値の方が何倍も分かりやすいじゃないか。……小学生の間で僕が自主的に小説を読むことは終ぞなかったように思う(読書感想文はハリーポッターの映画を見て終わらせた)。中学生になってもそれは変わらなかった。僕が読んでいた本といえばニュートンとか理系の雑誌だったし、また漫画を読むこともなくなっていた。小学生の頃は毎日のように(漫画を読むためだが)図書館へ通っていたにも関わらず、中学生になると上級生の教室の前を通らなければいけないというプレッシャーと位置的に遠いという要因もあって全く行かなくなった。だが中学二年になってから、僕は変わった。引っ越しをしたんだ、親が離婚して、母に半ば誘拐されるように。そこで通い始めた中学である種の運命的な出会いをした。中学二年の頃のクラス担任は国語の教師だったのだけれど、彼女は教室の後ろの棚(鞄を入れるところ)の上に私物の本を置いていた。いわゆる学級文庫というやつなのだろう。人と関わり合うことが苦手という稟性と、中学へは編入したこともありクラスになかなか馴染めなかった僕は逃避先を探していた。その頃もまだニュートンは読んでいたけれど、物足りなさを感じていた。虚しさともいうかもしれない、耐え難い軽さのようなものを内に抱えて、僕は何か、自分を埋めるものを探していた。そこで学級文庫が登場する。当時TVで放映したダン・ブラウンの『ダヴィンチコード』、氏の『ロストシンボル』がその本の中にあった。暇つぶしになると思って、僕はそれを手に取った。驚いた、これほどまでに面白い物があるだなんて、物語という自分を忘れて埋没できるものがあるだなんて。僕は『ロストシンボル』の上下巻を三日足らずで読み終えた。まだまだ満たされなかった僕は次の本を手に取った、村上春樹の『1Q84』の緑色の表紙のやつ(結局『1Q84』はこれしか読んでいない)、これも熱中した。今でも作中で豆のような頭をした男とのセックスのシーンがあったということやアイスピックのようなもので男を殺すシーンがあったことを覚えている。他にも覚えているシーンがある、このシーンがあったからこそ僕はここにいるのだと言える程に僕に影響を与えたシーンが。犬が、バラバラになった。犬に爆弾のようなものが仕掛けられていて、バラバラになり、内蔵が飛び散っていたというシーン。文章の詳細はもう覚えていないのだけれど、僕はその文章を読んで内臓の鮮やかな赤が、自分を引き込むほどに暗くて、綺麗で、醜悪な赤が眼の前に広がっているのを想像した。初めてこういうシーンで興奮する自分がいることを知った。自分の醜い部分を、それこそ内蔵のような柔らかくて醜い部分を見せつけられているような気がし、狼狽した。自分から腥い臭気が漂っている感じ、今すぐにでも確認したいと思った。でもそんなことをすると変な人だと思われてしまうかもしれない、休み時間にいきなり自分の体臭を確認する人、それは異質だということは理解していたから。僕はその本を最後まで読んだけれど、続編は読まなかった。今もまだ読んでいない。それは学級文庫のなかになかったのもあるし、それ以上に自分があれ以上に動揺することが怖かったのだ。僕は初めて本に魔力があることを知った。……高校生になると僕もまあ普通の若者だからラノベを読むようになった、アニメを見て、その原作を読もうと思ったんだ。そこそこ熱中していたけれど、でも村上春樹を読んだときほどの衝撃はなかった。そこで現れたのが中村文則の『教団X』。とにかく厚い本を読んでみたいと思っていた僕が、書店でたまたま見つけて手に取った。高校生だったからというのもあるけれど、父と親権を争って弁護士費用でお金を使っていた母からもらえる小遣いには限りがあって、その限りあるお金をこの本に使ったのはある種の運命だと思う。『教団X』は授業中に読んでしまうほど熱狂した。国語の授業中、これは国語の勉強だからと僕は先生が横を通り過ぎるのも気にせずに読書に耽っていたんだ。そういえば中学生の頃はまだ国語が苦手だったのにのかかわらず、高校生の時には国語は得意科目になっていたように思う。やはり本を読むようになったことが大きいのだろうね、ラノベ、文学に関わらず。閑話休題。『教団X』は何周もした。濡れ場は映像で見ることの何倍も興奮したし、その哲学的内容は陰鬱な自分(なぜ僕は暗い気持ちになるのかと考えることが度々あった)と向き合う佳いきっかけとなった。今でもこの作品は僕の中に息づいている。『教団X』を読んで、僕はロシア文学に興味を持つようになった。最初に読んだのはトルストイの『人生論』で、まあ直ぐに挫折してしまったのだけれど、次に読んだドストエフスキーの『罪と罰』で、表紙がボロボロになるまで読んだ。神を信仰していない僕だけれど、ソーニャに大きな存在を感じた。僕の中にある大きなものに縋りたいという気持ち、それはソーニャに対する憧れなのかもしれない。僕が創作する上でいつも頭の中にあって離れないのは『罪と罰』で、ある種の聖書だ。まだこの頃は文章を書きたいと思ってはいなかったけれど、ドストエフスキーに対する感謝の気持ちは培われていた(実際にはドストエフスキーへは感謝と憧れと、彼に追いつきたいという想いが混淆していた)。それが創作へと僕を駆り立てたのかもしれない。大学生になって出会ったのは『素晴らしき日々〜不連続存在〜』で、僕が哲学書を読むようになったきっかけでもあるし、創作するようになった最後のきっかけなのだろう(あとノベルゲームを作ろうと思ったきっかけでもあった――より正確にいうのならば、哲学的ノベルを作っていた七海さんに憧れのようなものを抱いてこの世界に足を踏み入れたのだが、それはまた別の話である)。
 ……さて僕の創作の濫觴が曖昧だけれど分かったところで創作論へと入りたいと思う。が、ここまで語ってきた過去に殆どが記されていると思う。僕にとっての創作は自分の中にある暗い部分との対話であり、それは哲学という名前が与えられるものかもしれないけれど、哲学とは少し離れていて、ドストエフスキーを始めとする尊敬する作家への感謝の祈りであるし、闘争心でもあるし、精神的自慰行為でもある。
 乱文な上、改行の少ない読みにくい文だったけれど(なお改善するつもりはない)、ここまで読んでくれた人に感謝します。
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